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私たちのミッション
みんなが楽しくなるトレードツールで
みんなを笑顔にするのが私たちのミッションです
「みんな」とは・・・
● わたし(ご自分=アナタ)
● 家族
● 友人
・・・・・・みんなを楽しく、そして笑顔にさせるのが仕事です

会社名 株式会社ボストーク
販売責任者 三澤 勇一
設立 H13年3月
資本金 950万円
所在地 〒 390-1131
長野県松本市今井3256-13
連絡先 TEL 0263-88-6089
業務内容 集客支援/Webサイト運営ノウハウ提供/Webサイト作成
個人投資家向け投資ツール開発販売
販売価格 各商品詳細ページに税込価格で表示
販売数量 商品ごとに在庫数に限りがあります
お支払期限 ・クレジットカード決済: 引き落とし日
・銀行振込: 前払い
お届け方法 ダウンロード
返金保証について 有料ダウンロード商品について、実際に使用したけれども有効性が認められないという場合には全額を返金いたします(ダウンロード後、1週間以内)。

代表者 プログラミング~システム開発者の紹介

日経225先物のシステムトレード・自動売買で有名な225LaboというWebサイトを立ち上げ、システムトレードの普及に努めました。制作したトレーディングシステムは述べ300本以上になります。2010年末に2225Laboを譲渡し、地元企業の集客支援などの業務もしながら、堅牢性・普遍性の高い独自のトレードシステムの開発と運用をしています。
 
〔略歴〕
平成1年 住宅メーカーの松本支店(長野県)にて営業担当。主に収益物件の企画販売を独自に考案し2年目にして全国約3000名中、10位以内の業績を収めました。営業の仕事ですが、「押し」が強いとかコネがあったとかじゃありません。
入社当初、上司から飛び込み営業100件を1日100件やってこい!みたいな事を言われまして、最初の2日間はそれでも50件近くの飛び込み営業をしてみましたが「どうもこんなんじゃ、永遠にラットレースだな」と思って、独自に営業方法を考え・・それが今でいう“データベース営業”のようなものだったのですが、あるエリアの土地の所有者や状況をくまなくデータベース化した営業方法をやったところ、非常に大きな成果になったものです。

 
長野県農政部の依頼により県庁講堂で講師(電気保安業務)
長野県農政部の依頼により県庁講堂で講師
(電気保安業務にて)

平成13年に自家用電気工作物(キュービクル)の保守管理をおこなう任意団体を創業しました。
翌年、組織を協同組合化し「でんきほあん協同組合」を設立し、専務理事 兼 事務局長に就任しました。協同組合にしたのは当時は電気事業法により、株式会社などの法人ではその事業ができなかったためです。
車の車検は2年に一回ですが、高圧電力で受電している工場や会社お店や学校、役所庁舎などは毎月1回の点検が義務でこれには費用が掛かります。当時は財団法人の電気保安協会が寡占的にこの業務をやってましたが、民間でも参入できる事は調べて知っていました。実は私は電気の知識がある訳でもなく業界に何の経験もありませんでしたが、この事業は成り立つ自信があったので参入したものです。

 日本経済新聞(長野地方版)で取材を受ける
日本経済新聞さんが取材してくれました

そうはいっても、なんのコネも客先のアテも無かったので「まず、地域の企業や事業所に役立つものを考えよう」と思い、最も合理的な電力会社との契約をシミュレーションするプログラムを独自に考えて作成し、無料で誰にでも配布しました。

これは非常に役立って、長野県警の塩尻警察署や松本警察署、県内のホテルなどではA4の用紙にハンコをついて電力会社に提出するだけで8%~11%もの電気料金が安くなり大変喜ばれました(そーゆー選択制度があったのですが、当時は電力会社からは顧客に情報を出してなかったのです)。
それで結果的に長野県警察、独立行政法人など約1000件の顧客法人を開拓し保安管理を行うことができました。

長野県からの依頼で県庁講堂での講演や、JA各所での講演は、私の作成したシミュレーションソフトを日経新聞さんで紹介してくれたためです。

 

日本経済新聞さんが電気料金シミュレーションソフトを取材してくれました

ある時、顧客の代わりに中部電力に用紙を提出に行くと、普段は決して通されることのない立派な応接間に呼ばれまして、オエライさんが名刺交換だけして私の顔だけ見てオシマイ・なんて事もありました(どこの馬の骨がこんなコトをしてるのか知りたかったのでは?)。
そのうち電力の自由化も相まって 中部電力から顧客にサービスメニューの案内がなされるようになったので(もともと中部電力のメニューですので)、私は関心があったシステムトレードなるものを電力のシミュレーションソフトの代わりに作り始めたのが、現在のトレーディングシステム開発のきっかけです。

2004年に最初は外為ドットコムに口座を作り、FXのシステムトレードからはじめました。
しかし、FXってのは(いまでもそう思いますが)非常に難しいです。日経225の何倍もの値動きの要因があるし、ブローカー(日本では証券会社といいますが)との相対取引なのでアヤシイ面もあったからです。
それで、2004年の中ごろにFXはやめて日経225のシステムトレードをはじめ、今に至っています。

2005年初頭に日経225先物のシステムトレードの専門サイトの225Laboを開設しました。当時はまだ「システムトレード神話」のようなモノがあって、それはシステムトレードであればメンタル的な動揺もなく、淡々と取引を繰り返せば例えドローダウンがあっても利益を必ず手にできるみたいなものでしたが、実際にはとてもそんなカンタンに誰でも・・なんてことはありません。
今思うと、「システムトレード」という考え方は投資のごく初心者向けの稚拙なものだったと恥ずかしくなります。

現在は非常に高いレベルのトレーディングシステムを動かしていますが、それは私の「作品」でもあります。

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